King's Ring

− 第8話 −




「何かあったのか?」
家に戻ってから、しきりにリョーマは何かを訴えるように手塚を見つめていた。
食事が済むと、手塚はリョーマを連れて部屋に入る。
「何ヶ月か前までは普通に見ていたのにね」
と母親からしみじみ言われたテレビも、ある時期から全く関心が無くなったかのように見なくなった。
暇があれば読書が中心となったので、食事と入浴を先に済ませ部屋に閉じこもれば、朝になるまで2人きり。
いつものようにベッドに腰掛けて、話しをする。
「あのさ、俺…王の指輪なんだ」
「王の指輪?何だ、それは」
貴金属の指輪なら両親がはめているのでわかるが、リョーマ本人が指輪とはどういう意味なのか。
手塚には理解しがたく更なる説明を求める。
「…まだ国光に話していない事があるって前に言ったよね」
「ああ…」
「6人の王の中から、最も王として相応しい人に与えられるのが王の指輪。王の指輪と深く繋がる事でその王には特別な力が得られるんだ」
「…では水の王はその為にお前を?」
リョーマの説明を聞いて、水の王の行動の意味が読めた。
「……水の王ってすごく優しくて、俺の事をすごく気に掛けていてくれた。でも、水の王はそれまでが嘘のように急に変わったんだ」
昼間の光景は、リョーマが水の王とは違う王と選ぶと話した結果。
水の王は自分を選ばないのなら、選ぼうとしている王を消してしまえばいいだけと考えた。
他の王は競ってリョーマを求めようとはしないが、自分はリョーマだけを求める。
たとえ、何かを犠牲にしてもこの想いに応えて欲しい。
何とも独り善がりな想いを出してきた。
「水の王は俺が選ぼうとした王の身体に深い傷を付けて、どこかに飛ばした…」
「リョーマはその王を…」
苦しそうに話すその表情に、リョーマがその王にどれだけの思慕を向けているのかが手に取るようにわかる。
認めたくないが、認めるしか出来ない。
「指輪として選ばれた俺は生まれたと同時に両親と離されて生活しないといけなくなった。そんな俺の傍にいつもいてくれて、魔法を教えてくれて…俺は…」
「好きだったのか?」
訊きたくないか、確かめないといけない。
「…すごく好きなのに、こんなに近くにいたなんて全然気が付かなかった。国光の背中の傷、俺を庇った時の傷と同じなんだよ。前に俺に言ったよね。この世界と俺の世界には同じ顔と名前を持つ人がいるかもって、国光は俺が好きな王と同じ顔、同じ声…同じ名前。思い出せば本当に不思議」
そっと手塚の頬にリョーマが手を添えれば、手塚は自分の手を重ねる。
「俺が?」
「きっと国光は水の王との戦いで王としての記憶が失われているんだよ。ううん、もしかしたら何かの意図を持ってこうしているのかもしれない」
「…記憶が…」
静かに全てを話すリョーマに、手塚は大きく目を見開く。
「俺は国光に触れた事と夢のおかげで全部思い出した。ちょっとだけ魔法も使えるようになったよ。でもやっぱり水の王の魔法は解けてないみたいだけどね」
リョーマが何かを唱えると、室内にキラキラと輝く光のカーテンが掛かる。
「これで大きな声を出しても平気。俺達の声は外に聞こえないから」
何があって記憶が戻ったのかわからないが、リョーマの記憶が戻った事実は喜ぶべき話。
しかし、その記憶の中には自分の事までも含まれていた。

自分も家族も知らない背中の傷。

急に興味を失ったテレビ。

家族なのに、まるで他人と住んでいるかのように、どこか一線を引いていた自分。

「思い出せなかった王の名前は『光の王』で、本当の名前は手塚国光。その力は王の中でも最強…」
「俺が…リョーマの世界の王?だが…」
もしも自分が光の王ならば、本来の手塚国光はどこに行ったのか。
顔が同じでも、名前が同じでも、結局は同じ人間では無い。
手塚の疑問に答えるように、リョーマは何かを感じ取る為に瞳を閉じた。
「国光からは2種類の生命を感じる。もしかしたら傷を癒す為に融合しちゃったのかも」
「融合?まさか」
「有り得ない事じゃない。それも光の王なら…」
「その融合を解けば、お前は王と共にこの世界からいなくなるのか?」
手塚はリョーマの手を取り、少し激しい口調で訊ねる。
「国光は中にいる光の王の想いを自分の想いだと錯覚してるかもしれないよ」
「…リョーマ、俺は…」
手塚国光としてのリョーマへの想いは決して嘘ではないと信じたいが、この想いが自分の中にいる光の王のものならば、この想いは融合を解けば消えてしまうかもしれない。
自分の気持ちを赤の他人に操作されているなんて信じきれない。
「俺は光の王もこの世界の手塚国光も好き。…やっぱり、こういうのってダメだよね」
姿形が同じでも、生きている世界だけが違う。
出会ってしまったから好きになった。
「ならば、俺だけを好きになってくれ。王の存在など忘れてしまえ」
リョーマの手を解放すると、今度は自分もろとも身体をベッドに押し倒した。
見上げるリョーマに手塚は覚悟を決めていた。
「今からお前を抱く。嫌ならば殴ってでも逃げろ」
今の手塚ならリョーマを拘束する事も、力任せに抱く事も出来るが、そうしないのは手塚が心の底からリョーマを好きでいるからだ。
この想いがあるからこそ、手塚は無理強いをしたくない。
「…光の王の記憶が戻らない限り俺は呪いも解けないし、自分の世界にも戻れない。でも、戻れないのなら戻れなくてもいい。俺はここで国光と生きる…」
ゆっくりと瞼を伏せたリョーマへ覆いかぶさった手塚が唇を重ねようとしたその瞬間、手塚の脳裏に何かが映り込んだ。
「な、何だ。これは」
途端にフラッシュバックする記憶。
それも自分の記憶とは違う。
見ず知らずの土地で幼いリョーマと楽しそうに会話をする自分。
誰なのかわからないが、かなりの高齢の老人から魔法を習っている自分。
成人を迎え、王として正式に認められた自分。
そして、不二と同じ顔をしている者との戦い。
この戦いの末、深手を負った自分。
様々な光景が入れ替わり映る。
「…そうか、手塚国光は…」
飛ばされた世界で見つけた、部屋の中で苦しそうに蹲っていた自分と同じ姿の人物。
突発的な病気なのか、それとも怪我なのかわからないが、今の自分に出来る事はたった1つ。
自分の怪我は想像以上に深く、この世界で怪我を治さない限りは強力な魔法を使う事が出来ない。
それは元の世界に戻れないと同じ。
しかも、早く処置しないと自分の命にも危険がある。
怪我を治す為にその身体を借りる事にして、彼の命を暫く永らえることにした。
ぐるぐると縦横無尽に駆け回る映像が1つの流れとなる。
自分の意識は何かの切っ掛けが無い限りは戻らないようにし、この世界で身体を癒していた。
その切っ掛けとは『リョーマが自分を見つけ出してくれて、リョーマの魔力を感じ、本来の姿を口にした時』だった。
リョーマほどの魔力があれば自分を見つけ出すのは造作ないと考えていたが、不二によってリョーマの記憶が操作され、魔力を抑えられているとは知らなかったので、手塚はリョーマの魔力を感じられなかった。
色々な要因が重なり、自分の記憶を取り戻すのに時間が掛かってしまった。
「リョーマが感じた2種類の生命の1つは光の王の命、もう1つは途切れそうになっていた手塚国光の命。俺は生きる為に彼と融合という形しか取れなかった。そうしなければ、手塚国光も光の王も死んでいた」
「国光…?」
のろのろと起き上がり、頭を抱える手塚の肩をリョーマは軽く揺する。
「俺はこの世界の手塚国光でもあり、光の王としての手塚国光でもある。リョーマ…俺も思い出した」
「思い出した?…じゃあ、国光は?」
どちらでも手塚の言葉使いや態度は何も変わらない。
それは不二の時も同じような感覚があった。
「俺が表に出た事で彼は今まで俺がいた深層に潜り込んだ」
「それじゃ、今は光の王なの?」
確かめるようにじっと見上げる。
見た目も何も変わらない。
これが手塚国光の自分を帰さない為の演技である可能性も捨てきれないので、リョーマは瞳を見据えたままで次の言葉を待つ。
「リョーマ…逢いたかった」
優しく微笑み、頬を撫でる手の動きは懐かしい感触。
誰のものでもない。
ようやく出逢えた愛しい人の感触に、鼻の奥がツンとなる。
「俺も国光に逢いたかったよ。国光がいなくなってから俺は周助から逃げてばかりで、本当に…本当に大変だったんだから」
遠慮なくぎゅっと抱きつけば、当たり前のように背中に腕がまわさせる。
「悪かったな…だが、もう心配は要らない。お前に掛けられた魔法を解いて俺達の世界に帰ろう。そして俺は不二と戦う」
黒髪に顔を埋め、ようやく手の届く距離に存在する相手の香りを楽しむ。
「でも、国光がいなくなったら…」
「本来ならこの世界の手塚国光は既に存在していなかった。俺が彼と融合した事で彼は寿命を無理矢理延ばしてしまったからな。だが、彼が俺と同じようにリョーマを愛したのは…真実だ」
「ねぇ、この世界の俺と出会わせたら駄目かな?」
「リョーマ?」
「このままで終わりなんて何か可哀想だから。きっと、この世界の2人も出会ったら幸せになれるんじゃないないかな」
融合を解いたらこの世界の手塚は命の灯火を消すだけだが、それでは悲し過ぎる。
誰かを愛する喜び、愛される喜びを彼らにも知って欲しい。
「わかった。確か、この世界のリョーマはアメリカでプロテニスプレイヤーになっているんだったな。彼もテニスの腕前は素晴らしいものだ。このまま行けば、彼もプロの世界に入るだろう。では、俺の力で黒猫に関わった全ての人物の記憶を変えさせてもらう」
リョーマの想いを汲んだ手塚は、融合を解いた後で借主の身体を正常な状態に戻ると約束した。
「何時になるかわからないが、テニスを通じて2人が出会えばいい」
「そうだね。……国光?」
そう言いつつも、先程と同じようにリョーマをベッドに押し倒した。
「俺はお前と元の戻る為に力の全てを取り戻さないといけない。王の指輪であるリョーマ。光の王である俺を選べ」
「…はい。でも、国光…」
「彼の想いと共にお前を愛したい…」
生きる世界が異なるだけの同じ姿と同じ名前を持つ人物は、自分と同じ相手を愛した。
記憶と同時に想いを消す前にとの考えをリョーマは了解し、そっと瞳を閉じていた。

契約を結ぶ為、愛しい相手と繋がる為、2人は身体を重ね合った。

異性間の繋がりよりも熱く深く激しく交わった後、手塚は融合を解いた後で戻った本来の身体と力でリョーマに掛けられていた魔法を解いた。
ベッドの上には自分とそっくりな人物が横たわっているが、その背に傷など無い。
今まで風呂場で何度も見てきた痛々しい背中の傷は、隣に立つ自分の世界の手塚の背にある。

「今までお世話になりました」
手塚は扉に向かい頭を深く下げる。
「おばさん…ご飯とっても美味しかったよ。おじさん…遊んでくれてありがとう。おじいさん…縁側とっても好きだったよ。国光…俺を好きになってくれてありがとう」

「さぁ、リョーマ。俺達の世界に帰ろう」
「…うん」


最後に長い間世話になった家族と仲間に与えた黒猫の記憶を消して、この世界から姿を消した。





急激に話が進んだよ。